川越に伝わる妖怪や不思議な伝説を検証するものです。ここでは 白狐 の祟り(たたり)にまつわる伝説についてよくよく調べてみたことを報告します。
雪塚稲荷神社の行き方
雪塚稲荷神社は今や観光名所となった一番街(蔵造り町並み)のすぐそばにあります。

本川越駅前の道を真っ直ぐ進み、一番街(蔵造り町並み)に出たら、「時の鐘入口」の手前の細道を左に入ります。「陶舗やまわ(この画像の蔵造りの建物)」の左手の道です。ちなみに、「陶舗やまわ」はNHK朝ドラ「つばさ」の主役の実家(和菓子屋)設定でした。

細道を進むと「長喜院(ちょうきいん)」の山門が見えますが、雪塚稲荷神社はその手前右手になります。鳥居が見えるところです。


鳥居の正面は「三峰神社」が祀られています。雪塚稲荷神社の社殿は奥の右手になります。あいにく今(2025年12月)は外装メンテナンス中のため、全体像は写せませんでひた。いずれ、画像を追加します。


鳥居の左手に碑が設置されており、神社の由来が記載されています。
白狐 の祟り伝説とは
「雪塚稲荷」の鳥居の左横にある石碑に、この 白狐 の伝説について次のように記されています。
雪塚稲荷略縁起
当社は城下町川越の十ヶ町の一つ、南町の氏神として崇拝されてきた。南町は、江戸から明治にかけて六十軒あまりの町であったが、江戸店を構える大商人を多く生み出し、明治十一年(一八七八)には県下初の国立銀行を開業させるなど、十ヶ町の中でも中心的な商業地であった。
神社の創始は、口碑に、「江戸の昔、ある大雪の夜、南町の通りに一匹の白狐が迷いあらわれた。これを見た若い衆数人が白狐を追い回してついに打ち殺し、挙句の果てにその肉を食したところたちまち熱病にかかり、さらに毎夜大きな火の玉が街に現れるようになった。町内の者はこれを白狐の祟りだとして恐れおののき、近くの長喜院の境内に社をたて、白狐の皮と骨を埋めて塚を築き、雪の日のできごとであったことにちなんで、雪塚稲荷神社と名付けて奉斎した」という。
明治二十六年の川越大火によって本殿、拝殿焼失、同三十年四月二十八日に再営した。その際土中のご神体を改めたところ、白狐の毛が逆立つのを認め驚いて再び埋納したという。
また、昭和五十五年社殿の修理中、床下中央部から石板が発見され、「雪塚稲荷神社遺躰文政六年二月十二日御霊昇天、同年三月十二日御霊祭日と定め同年同日雪塚稲荷神社と称す」との銘文があった。
文政六年(一八一三)以来、とくに商売繁盛に霊験あらたかさをもって知られ、町内のみならず、遠隔地の講中や近隣末社の人々の不断の信仰に支えられてきた神社である。
検証1:江戸時代の「南町の通り」とはどの辺り?
雪塚稲荷略縁起に記載の「南町は、江戸から明治にかけて六十軒あまりの町」とある「南町」とはどの辺りのことを指すのでしょうか?現在の雪塚稲荷神社のある町名は「幸町(さいわいちょう)」。周辺は、「元町(もとまち)」、「大手町(おおてまち)」、「仲町(なかまち)」、「末広町(すえひろちょう)」で、南町という地名は存在しません。
そこで、古地図で確認してみることにします。私の大好きなアプリ「大江戸今昔めぐり」で、周辺を見てみましょう。


すると、むむっ!確かに、時の鐘付近一帯は、「南町」になっています。また、「南町の通り」とは、南町を縦断している、現一番街(旧川越街道の一本西)、もしくはかねつき通りと推測されます。「県下初の国立銀行」は現在、道を隔てたところに建っている埼玉りそな銀行で間違いないでしょう。

検証2:雪の日に迷う 白狐 ?
次に、「ある大雪の夜、・・一匹の 白狐 が迷いあらわれた。」について考えてみます。
まず、 白狐 。一般に狐は茶色ですが、白い狐も実際いるようです。ホッキョクキツネといい、こんな姿。モフモフ。とてもかわいいです。

が、名前のとおり、生息地は北極地域なので、伝説に出てくるのはこの種類ではなさそうです。では、この日に川越に現れた白い狐とは?
調べてみますと、「 白狐 (びゃっこ)」とは、「稲荷神の使いである狐の中でも特に神聖な存在。知恵や霊的な霊的な力を持つとされ、変幻自在に姿を変える能力や、人々の願いを聞き届ける力がある」とされています。(参考出典:稲荷神の使いとされる白いキツネ「白狐」)

確かに、稲荷神社の左右には狛犬ではなく、狐(それも 白狐 )が設置されていますね。では、なぜ聴覚、嗅覚に優れる狐が雪の日に迷う、ということになったのでしょうか?
一説によれば、この白狐は「東松山の箭弓様のお使いで、王子のお稲荷さんに行く途中だった」とあります(情報源が不確かなので詳細わかりましたらまた報告します)。この話をもう少し検証してみます。地図で2か所を結ぶとこんな感じ。直線距離は43km。川越市も突っ切ります。

とはいえ、もちろん、直線では行けません。当時の道路事情を考えますと、大きな街道を通るのが安全です。そうすると、箭弓神社のある東松山市からは、現国道407号(日光街道)を南下し、坂戸付近から南東に向かい、入間川を渡って、旧川越街道に出ようとしたように思えます。旧川越街道に出てしまえば、あとは江戸までほぼ一本道といえます。
しかし、古地図を見るとわかるように、この南町付近は旧川越街道の最北端にあたります。したがって、北側からこの辺りまで来るまではあまり道もよくなく人家も少なく、あいにくの雪で道と田畑の区分も付きにくかったのかもしれません(狐は視力はよくないらしい)。あと少しで整備された街道、という手前でちょっと迷ってしまってウロウロしていても不思議ではないような気がしてきました。
検証3:狐の肉を食べた?
雪塚稲荷略縁起には、「これを見た若い衆数人が 白狐 を追い回してついに打ち殺し、挙句の果てにその肉を食した」とも記されています。
狐ですら迷う雪深い(たぶん)日に、外で狐を追い回すとは、よほど酒に酔っていたのか?確かに、この付近は、江戸時代から続く老舗、小川菊(うなぎ屋、文化4年・1807年創業)、亀屋(和菓子屋 天明3年・1783年創業)、いせ清(うどん屋 創業江戸時代 現小江戸釜めし 鳥清)といった飲食店が今でも変わらず営業していることから当時でも相当の繁華街だったのでしょう。狐も遠くから、この付近のお店の灯りを頼りに近づいたのかもしれません。また、不幸なことには、追われた際、この付近は城下のため路が入組んでいます。田畑のある場所のように猛ダッシュで逃げることもできず、行き止まり箇所に追いこまれてしまったようにも思えます。
ところで、若い衆は「その肉を食した」とあります。狐の肉は食べられるのでしょうか?次のサイトに狐の肉についてのレポートがあります。
死んだザリガニ臭がする『キツネ』の肉。でも、しっかり調理すれば醤油の香り(狩猟世界)
ざっとポイントを抜き出すと、
- 肉食嗜好のキツネは、肉がアンモニア臭い
- 肉に旨味がほとんどありません
- 『ザリガニの死んだ水槽』のような臭いがすることもある
など、評価は散々です。だいたい江戸時代は獣肉食は禁忌(建前は)でしたし、素人がその場でさばいてうまく調理するなど極めて困難でしょう。したがって、生煮えの美味しくない鍋(勝手に鍋にしてますが)をつついて途中で投げ出し、ついでに寄生虫(エキノコックス症につながるものです)ももらったのかもしれまん。さらに碑には後に「白狐の皮と骨を埋めて塚を築き」とありますので、一応は若い衆は別の場に狐の亡き骸を(証拠隠滅のため)一旦埋めていたのでしょうかね。
いずれにせよ、 白狐 を見かけた時点で、神獣として敬う、軒下にでも寝床を作ってあげる、などの心遣いをしてほしかったところです。
検証結果と課題
以上、 白狐 の伝説について検証してまいりました。わかった点としては次のとおり。
- 江戸時代の南町は雪塚稲荷神社付近。南町のとおり、とは一番街付近。
- 白狐は、稲荷神の使い。どうもホッキョクギツネではない。この日に現れたのは、東松山市の箭弓稲荷神社の使いの可能性あり。
- 白狐を殺めた若者は繁華街で酔った帰りだった?白狐は慣れぬ街中で逃げ切れなかった。
- 狐肉は美味しくない。たとえ祟りがなかろうと食べる必要はない。
検証できていない点としては以下があり、これは課題としておきます。
- 大きな火の玉
- 逆立つ白狐の毛
以上、お読みいただきありがとうございました。
(注:旧川越街道の場所について誤解があったため、2025/12/31に一部内容を修正しました。)


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