川越 七曲り ‐小江戸川越 妖怪 検証・その3

川越に伝わる妖怪や不思議な伝説を検証するものです。第3弾は川越城の近くにある「 七曲り 」について検証してみます。

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川越 七曲り への行き方

川越 七曲り の場所は少しわかりにくいのですが、川越市立中央図書館や川越郵便局の道のひとつ南側を通る中央公民館に向かった道がその一部になっています。永島家住宅(旧武家屋敷)の脇を入りますので、ここを目指していくといいでしょう。地図だと下記の位置です。

ズームするとこんな感じ。凸をさかさまにした形をしてます。一番長い道以外は道幅はせまいです。

Google Mapより

「これ、どこが七曲り?」と思われた方もいるでしょう。では、検証します。

「七曲り」のイメージ?

「 七曲り 」というと普通はくねくねとした道をイメージしますよね。昭和世代ですと、刑事ドラマ「太陽にほえろ」の七曲署が思い浮かんでしまいますが、これはこの場所が曲がっていたわけではなく、心境やドラマの展開を意図してそうです。この警察署はドラマ設定では「東京都新宿区矢追町(やおいちょう)」にありますが、これも架空の地名です。

しかし、偶然にも東京都新宿区に、「七曲り坂」という所が存在します。

場所は、西武新宿線の「下落合」駅の北側、氷川神社のすぐ北西。目白方面に向かう坂道が「七曲坂」です。先日行ってみました。

七つの曲がり角、というほどではないですが、確かにくねくねはしてます。舗装されていない昔はもっとくねっていたのかもしれません。これが普通の「七曲り」のイメージですよね。

ちなみに、この場所の少し東寄りにある坂の上で合流する道の方が曲がり方や急斜面の点で七曲というのに相応しいかったです(自分感想)。この辺り、舗装やすべ止めがなかったら雨の日なら転げ落ちても不思議ではないほどの急斜面でした。

検証1:川越の七曲り、どうしてこの形になったのか?

さて、「川越七曲り」に戻ります。川越の七曲りは、一本道ではないですね。ある土地一画の外周になっています。永島家住宅(旧武家屋敷)の前には次のような案内板があります。

七曲がり

川越城下の武家地は、城の近くに上級武士、離れるに従って中・下級武士、街道筋には足軽屋敷が配置されいた。こうした構成は江戸時代を通じて変化はないが、家臣団の規模により武家地の領域には変動があった。

松平大和守の入封に伴い、武家地は大きく拡大する。秋元家時代(1704~1767)の川越城下の様子を描いたとされる『秋元但馬守様川越城主之頃図』と松平大和守家時代(1767~1866)の城下図とされる『川越城下図』と比較すると、秋元家時代に城下の外であったところにまで武家地が拡大し、これに伴い道もつくられたことがわかる。ここでの道のつくられ方は直線路となっている。一方、秋元家時代に郷分町(村が町場化したころ)や燈明寺(東明寺)・泰安寺の寺域となっていたところにまでも武家地が拡大し、同様に道がつくられたことがわかる。こちらでは、郷分町であったところや寺域境であったところに沿うように道がつくられている。この拡大範囲の道は非常に屈曲が多く、郷分町であった側は、通称「七曲り」と呼ばれるようになった。なお、「七曲り」とは道が幾度にも折れ曲がっている場所のことをいう。

ふたつの城下図から「七曲り」は、江戸時代も後半になってつくられた屈曲路であることが明らかであるが、防衛上の目的からつくられたのかどうか定かではない。『秋元但馬守様川越城主之頃図』では既に屋敷割の原型がつくられており、松平大和守家時代にはその屋敷を踏襲するかたちでは武家地は拡大された。そして、この屋敷割に沿うとともに各屋敷への出入りを容易にするために道がつくられ、結果的に複雑な屈曲路をかたちづくることになったのであろう。「七曲り」は、武家地の拡大という事実が生んだ道であること。そして、今に江戸時代の名残を留める道であることは間違いない。

案内板にも、「防衛上の目的からつくられたのかどうか定かではない。」と記載がありますが、検証してみます。

秋元家時代(1704~1767)だと、江戸幕府将軍としては、5代・徳川綱吉から10代・徳川家治の時代となります。「暴れん坊将軍」の徳川吉宗もこの時代に入ります(1716〜1745年)。元禄文化は綱吉の頃なので、これが少し落ち着き、不景気が見えて吉宗の享保の改革で幕府が引き締めを図った時期といえます。財政引き締めで武家の出費も抑制されていたはずなのに、川越では武家地がどんどん拡大していた、ということ?

秋元家時代(1704〜1767)の川越藩は、藩主は4代にわたっています。初代・秋元喬知(1704〜1714)、2代・喬房(1714〜1738)、3代・喬求(1738〜1742)、4代・凉朝(1742〜1767)の4人が治めています。初代・喬知は、養蚕・川越斜子や川越平などの生産など殖産興業で川越を発展させた一方で、幕府内で重役をつとめていたこともあり、江戸での出費がかさみ、藩財政が慢性的に厳しかったようです。街は一見潤っているので、武家地をドーンと広げて道まで新設したのに、実はお金はなかった、という背伸び、見栄っ張りだったのかもしれません。

当該地を古地図と照らし合わせてみます。ここも「大江戸今昔めぐり」を使ってみます。下の地図は江戸時代のものです。

「大江戸今昔めぐり」より

大江戸今昔めぐり」には現代地図との重ね合わせ機能があり、これを使ってみると、、

どうも、「森田帯刀」屋敷との境から南に道が作られた、というように思えます。南側の東西の道は屋敷の中盤を横切っているようにみえます。少々、画質が悪くて恐縮ですが、案内板にある同じ場所でも大きな道は同じです。

もともと、このような区割りであった場所が、

このように屈曲路になった、という説明があります。が、上の写真左にある南側の東西の道(凸の字の上の部分を逆さにしたところ)は、現在の道路位置よりもう少し南側になっています。現地に行ってみるとわかりますが、この辺り現在の七曲りの道から下っているので道にするなら、今の場所の方が自然な気がします。地図の精度か、途中で道が変わったのかはなんともわかりません。

なお、「七曲り」が防衛目的で作られたか、というのはどうでしょう?江戸中期なので大規模な戦はなかったと思いますが、一揆への対策という可能性はあったかもしれません。実際、明和元年(1764年)から翌年にかけて、武蔵国を中心に中山道伝馬騒動が発生し、川越城下にも一揆勢が迫った、という記録もあります。南側から一揆衆が迫る場合に備えて、七曲りの道も攻め込まれないように高台に移した、ということもあったのかもしれません。

検証2:実際の曲がり模様

では、川越七曲りの実際の曲がり模様をみていただきましょう。先に示した地図にに番号を付けて写真で見てみます。

風景はこんな感じです。

★起点

①永島家住宅の左側を入る

②は少しだけ右に入る
③も少し曲がる程度

④右直角

⑤右直角

⑥左直角

⑦右直角

★起点に戻りました

②と③はあまり曲がり角、という感じはしません。が、新宿の七曲り坂に比べると、くねくねというよりは直角、という感じです。屋敷の区画に沿って道を作ったからなんでしょうね。起点も角の1つ、ととらえると七曲りどころか八曲がりといえるかもしれません。

検証3:なぜ「七」なのか?

新宿の七曲りは実際にはそんな数はなく、川越の七曲りは実は八曲がり?そもそも「七」という数字に何か込めた思いがあるのでしょうか?ちょっと脱線しますが、検証してみます。

① 全国の「七曲り」

Wikipediaで「七曲」を調べてみました。地名だけでも、福島・千葉・富山・石川・愛知・和歌山・彦根・箱根・長野・宮城(亘理)と全国各地に存在しています。城下町の武家屋敷エリアが多いようです。また、道路でもざっと5つあります。これに対し、前後の「六曲」、「八曲」ではWikipediaには解説がなく、Google検索でもヒットがないです。そうなると、「七曲り」はその土地の固有名詞ではなく、日本各地で使われた普通名詞だったといえるのではないでしょうか。

② 「七」が好き?七は「たくさん」を意味する数字だった

西洋文化でも「7」は特別な数字扱いをされているような気がしますが、開国して西洋文化が入る前から日本でも「七」は特別扱いをされていますよね。ことわざでも、「七転び八起き」「なくて七癖」「親の七光り」「色の白いは七難隠す」など頻繁に使われています。 これらの「七」はどれも本当に7つを数えているわけではなく、「七」は「多いことの象徴」として使われてきた慣用的な数字といえましょう。また、日本人は割れる偶数よりも、割れない奇数の方が縁起もいいとされ、好んで使われています。「五」だとまだ多いとはいえないので、なんとなく多くて、多すぎないという意味で「七」に落ち着いたのかもしれません。

「七曲り」の「七」も「たくさん曲がっている」という意味で、実際の数とは関係なく定着していったというように思えます。検証したのは野暮か?

課題

今回、検証1で、江戸時代の地図と現在の地図とで道が七曲りの道がずれているところがあることがわかりました。これが地図の精度が原因なのか、それとも現在に至るまでに道が実際にずれたのかは追い切れていないので、再開発等の資料を当たってみたいと思います。私が子供の頃(1970年代)は既に今の位置にあったと思うので、それより前ですかね。

その他、一揆についても深堀できていません。この七曲り以外でも、直角に曲がっている道は市内に多数ありますので、一揆との関係について調べてみるのも面白そうです。結果わかったら、また、報告しますね。

以上、お読みいただきありがとうございました。


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