喜多院七不思議 底なしの穴 (後編) ‐小江戸川越 妖怪 検証・その4

川越に伝わる妖怪や不思議な伝説を検証するものです。第4弾は喜多院七不思議の一つ、「 底なしの穴 」について検証する後編です。前編はこちら→

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検証2 穴はどうやってできた?

では、この「 底なしの穴 」はどうやってできたのでしょうか?検証してみます。

1.人工説

まず、「人が作ったのではないか」という視点で考えてみます。誰がなんのために?

深い穴の用途としては、まず井戸が考えられます。しかし、上の江戸時代地図を見るに、喜多院の北側には当時は池がありましたし、付近に小川もあることから、水に特に困っていたようには思えません。手水舎用に井戸を掘ったのでしょうか?しかし、それなら穴という表現が使わないような気がします。枯れたり水量が安定しなくて使われなくなった?資料が乏しいため、井戸説は一旦保留します。

次に、日枝神社の背景的なところを考えてみます。日枝神社は実は古代は古墳でした(私も知りませんでした)。仙波古墳群に属する1つで、これらの中では北方(最北?)に位置しています。確かに、少し遠方からみるとこんもりとしています。

全国の古墳をレポートしている古墳の森サイトでは次のように紹介されてます。

【日枝神社古墳】

仙波古墳群の北側の支群・小仙波古墳群に分類され、現存する3基のうちの1基である。

前方後円墳だったが、1924年(大正13年)の川越大宮県道工事のため、古墳のほとんどが破壊され、県道東側に前方部の一部が残存するのみである。

工事後、日枝神社がこの地に移転したため、日枝神社古墳と呼ばれるようになったが、それ以前、墳丘上に多宝塔(現在地は喜多院境内)が建っていたことから多宝塔古墳と呼ばれていた。

また、喜多院の山門の側にあることから山門前古墳とも 、日枝神社(山王様)から山王塚古墳とする資料もあるようだ。

多宝塔の跡地からは、古墳の副葬品を入れ、再埋納したと思われる石函(いしばこ)が 再発掘された。

石函は長さ33cm、幅9cmで、短剣一振、管玉(碧玉石)3コ、勾玉(翡翠)1コ、切子玉(推奨)1コ、丸玉や小玉12コが入っており、蓋の裏面に発見の経緯などが墨書きされていた。(左図参照)

その他、板碑一基と土偶、(人物埴輪、朝顔形埴輪)も発見された。

1977年(昭和52年)、喜多院の駐車場の設置のため、県道西側が発掘調査され、周溝の一部や埴輪、土器などが確認されている。

【天海僧正と石函】

喜多院は、天長7年(830年)、円仁(慈覚大師)が無量寿寺として開創し、慶長4年(1599年)、徳川家康公の信任を得た天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。

寛永15年(1638年)に起こった川越大火により山門を残し、喜多院はほぼ全焼し、徳川家光公により喜多院は再建される。

寛永16年(1639年)の多宝塔建設に先立ち、古墳の主体部が発見され、出土した副葬品は石函に入れられ、再埋納された。

石函発見時の新聞記事は、蓋の裏の墨書きについて「天海大僧正の直筆らしく」と伝えており、真偽は不明だが、石函に入れ、再埋納という適切な処置には、やはり天海僧正の意向があったと思われる。

この資料によると、「多宝塔の場所に石函があった」と記されています。底なしの穴がこの石函の元の穴だったとか、何か関係があるのでしょうか?通常、石函を埋める深さについてGoogleで調べてみました。

墳丘(土盛り)の中の深さ
古墳は平地に穴を掘るだけでなく、その上に土を高く盛り上げます。
竪穴式(たてあなしき): 古墳の頂上から縦に深い穴(墓壙)を掘り、底に石棺を置きます。この場合、墳丘の表面から 1.5m〜1.8m ほどの深さに石棺が位置するのが一般的です。

ということなので、残念ながら今回の穴の深さ(地表から6m)と直接的に関連づけるのは少々無理がありそうです。また、元の多宝塔の場所を調べた結果、神社の西隣、今の県道と駐車場のところにあったことがわかりました。この場所だと、今の穴の位置からは大分離れていますのでますます関連はなくなりました。

2.自然にできた説

では、この穴、自然にできたのでしょうか?純粋に自然に穴があいた、というのは考えにくいですが、日枝神社内には大木も多くあり、これと関連づけて考えを巡らしてみます。こんな推理をしてみました。

・日枝神社の場所は、古墳という神聖の場所のため、不必要な人の出入りがなく、大木が育ちやすい環境にあった。
 ↓
・喜多院大火の再建で神社をこの地に立て直す際、これら大木を伐採した。あるいは一部の木の幹は火災時に燃えてしまっていた。
 ↓
・この伐採跡の木の根がやがて枯れて腐り、地中に垂直、あるいは斜めの「管(くだ)」が残った。その際、その管の端が下の砂礫層近くまで伸びていた。
 ↓
・砂礫層に水脈があり、大雨などで地下水の流速が上がると、地表の土砂がその管を通って地下水脈へと吸い込まれ運び去られる(パイピング現象)、といったことが繰り返された。この結果、長い年月を経て、空洞が拡大した。

パイピング現象は、地質学で「内部侵食」と呼ばれる物理現象のことです。一度、地表からの穴(管)が、高圧な地下水が流れる導水管(砂礫層)に突き刺さった場合にストローのような役割を果たすもので、一時的に土砂とともに水が吸い上げられ、戻る時にその土砂を吐き出します。結果的に、穴は拡大し、地盤が陥没することもあります。これが起きたのではないでしょうか?

喜多院の大火は西暦で1638年。日枝神社の建設時に穴があればその時に埋めていると思いますので、やはりこの大火後の再建(または整理)後に、穴が現れ、それが徐々に深くなっていったのではないでしょうか?木の根の跡ですかねー。

いまひとつ木の根説に確証が持てないのは、日枝神社内に茂っている杉やケヤキでは、木の根が張るのは地中2m程度ということなのです。なので砂礫層近くまで管が伸びていた、というところが理由としては弱いのです。ただ、穴の場所は、神社境内のすぐ横にありましたので、基礎工事の際に周辺を掘り返していたはず。そのため、土壌が柔らかくなり根を張りやすい状態にはあったように思います。

検証3 なぜ双子池に投げたモノが浮かんだのか

伝承にある、底なしの穴に投げ入れたお椀や下駄が浮いてきたのが何故「双子池」だったのか、その理由を検証してみます。

双子池の辺りは段丘になっており、東にある新河岸川まで下りが続きます。双子池も上の道から一段下がったところにあります。なお、段丘といっても河岸段丘ではなく、なんと海岸段丘なのです。実は、縄文時代、川越は海に接していました(縄文海進といいます)。双子池の前の道を少し北上したところに、「小仙波貝塚跡」があり、シジミが見つかっていますので、丁度、河口付近であったのでしょう。

入口の道から双子池までは急な下り坂(段丘)になっています。また、池の出口も段状になっていることがわかりますね。

ここで疑問です。そもそもこの池、川から水が流れ込んでいるわけではないのに何故水が貯まっているのでしょう?実はあまり目立ってないのですが、この池の水、「湧き水」なのです。下の写真をご覧ください。池の上端の方をよく見ると、波紋がみえます。こんこんとまではいきませんが、そよそよといった感じで水が湧いているのです。

興味深い資料があるので紹介します。平成15年3月に実施した「市民環境調査 湧き水探検隊(湧き水調査)報告書」というものです。これによりますと、川越市内でも湧き水が出るところは結構あり、双子池(龍池弁財天)も調査地点のひとつになっています。

双子池は武蔵野台地のへりになっており、荒川低地との境の段丘が湧き水のポイントになっているのでしょう。同じ資料中の、まさに、この図の湧水の箇所に相当しています。

※上記画像はいずれも「市民環境調査 湧き水探検隊(湧き水調査)報告書」から

また、1950年代は今とは比較にならないほど湧き水の量は多かった、と記された資料もありました。今より地下水の汲み上げも少なかったことより、江戸時代も同様の水量だったと推測します。とすると、喜多院付近から荒川低地に向かって武蔵野台地下を通る結構な水流のある地下水脈があったのではないかと考えます。

伝承の考察

これまでの検証結果を合わせると、次のような仮説を立てられます。

  1. 喜多院から東付近は武蔵野台地の末端にあり、関東ローム層の下の砂礫層に地下水が流れる水脈があった。
  2. 双子池は武蔵野台地と荒川低地との境にあり、砂礫層の地下水脈から豊富に水が湧き出て、池となっていた。
  3. 日枝神社の底なしの穴は江戸時代の喜多院大火後の再建立が起点で出来たもの。境内にあった大木の跡の木の根が腐って管となり、パイピング現象により穴が広がった。
  4. 地下の水流が速いときには、吸い込み効果もあり、投げ入れた椀や下駄は水流に乗り、西の台地の出口である双子池に現れた。

どうでしょう?憶測はありますが、不思議だった伝承も自然現象であった理屈が立ったように思えます。

課題

やはり深い穴の出来た理由が木の根の跡、というところが確証もてず、他に同じような事例がないかは追加で調べたいと思います。また、レポートには載せられていないのですが、かつて喜多院には堀や池があり、これらの水をどうやって得ていたのかも調査が足りていません。こうした点を調べていくうちに、穴が深まった謎が一気に解明できるかもしれません。新たな事実がわかったら、また、報告しますね。

以上、お読みいただきありがとうございました。


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